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超マイペース観察日記?     By はのあ
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私の目標
みんなのお母ちゃん

お母さんのイメージなんだけど、立派な母、毅然とした母、慈愛に満ちた母的な
理想像を追うのではなく、どこにでもいるような下町のお母ちゃん的な、肝っ玉母さんなイメージ。

今まで子供達には「心配」からいろいろ世話を焼いたり口出ししてきたともう。
それを「心配」からするのではなく、なんでも「よかよか♪」と見守って、
好きだから世話をする、面倒を見る的な「信頼」とか「愛」をベースにして安らぎを与えたい。


苦しい現実があって
不登校や反抗期や金欠や多忙等の家族の問題と、自分に自信がないという自分の問題はあるけど

私が自分を信じて、自分の愛に自信を持っていれば、愛のフィルターを通して世の中を見られると思う。
そしてゆったりのんびり、たっぷりの愛情で包んであげたい。
いいよ♡いいよ♡といつも優しく見守ってあげられるような人なりたい。



世界中の子供達を、世界中の大人の中の子供達を、優しく包むお母ちゃんになりたい。
# by hanpa2 | 2009-06-29 00:13
ばかものですが
        自分の感受性くらい     茨木のりこ

                           
        ぱさぱさに乾いてゆく心を
        ひとのせいにはするな
        みずから水やりを怠っておいて

        気難しくなってきたのを
        友人のせいにはするな
        しなやかさを失ったのはどちらなのか

        苛立つのを
        近親のせいにするな
        なにもかも下手だったのはわたくし

        初心消えかかるのを
        暮らしのせいにはするな
        そもそもが ひよわな志にすぎなかった

        駄目なことの一切を
        時代のせいにはするな
        わずかに光る尊厳の放棄

        自分の感受性ぐらい
        自分で守れ
        ばかものよ




自虐的にならずにこの詩を読める日が来るなんて、と嬉しくなりつつ
やっぱり問題や悩みはなくならないもんだな、と少し疲れを感じつつ

昔読んだ時、また叱られた、と思ったっけ・・・
しかも生活態度とかじゃなく、生き方というか私自身そのものを。
イタかった〜!(笑)

やっと最近になって、厳しくするだけじゃダメなんだと気付いたし
とても恐れ多くて自分にはその資格がないと思ってたけど、自分を大事にすることが
他の人も大事にすることだと実感できたし
それでも自分に許せてないことは、やっぱり人にも許せないことを痛感したし

これって心理学を勉強するようになって
なんで「みずから水やりを怠って」しまったのかな?
どうして「しなやかさを失った」んだろう?
「なにもかも下手だったのは」罪なの?
「ひよわな志」しか持てなくなってたんじゃないの?
自分から好き好んで「尊厳の放棄」を選んだんじゃないよね?
そうなるにはそれなりの理由があったはずなんだから、そうなったのはなんでだろう?
って、物事を違う角度から見て、そうなる原因を考えるようになったおかげ。


そして、時間でも計画でもなんでもそうだけど、人間関係にも「余裕」が必要で
人間関係の余裕は特に、自分自身の心の余裕だと感じてるのに。

「頑張れない時は頑張らなくていいよ」なんて言ったら、こんな私はいつまでもいつまでも
頑張らないだろうと勝手に確信してることを怖れてる。
だから休んでるつもりでも休めてなくて、結果なにも出来てない事でさらに焦る悪循環。
同じことをいたわってあげたい人に言う時も、いいのかな?大丈夫なのかな?と心配しながら
もしくは、いい加減休んだでしょ?もういいでしょ?と急き立ててしまいそうになる。


なんでこうも叱咤激励が手放せないかなぁ^^;


この無限ループから抜けるには、
何もしなくてもいいよ、時間がかかってもいいよ、好きなことからしていいよって、
自分を甘やかしても心がざわざわしないくらい、自分を信じる心の余裕が必要なんだろね。


一休さんのように「あわてないあわてない、ひとやすみひとやすみ」でいこうw
        
# by hanpa2 | 2008-10-03 09:52 | ■お気に入り系
やりたくないことはやらない
順番が逆になったけど、前に書いてたこれが【お気楽に生きる】の続きになると思ってTB。



本当にやりたいことに気付くこともできない今、自分は何が好きで
何をすると楽しいのか考えてみる時間も必要だと思った。

なんでこうなったか今ならわかる理由の1つが
親を好きだったから。
あー、過去形にしてる自分が恥ずいw

子供にとって親(家庭)は絶対な存在。
親や家がなきゃ1人で生きてけないもんね。
でもそれだけじゃない何かがあるのも頭じゃわかるケド。

でもでも、
親が子供のためを思って言ってくれてる言葉がどんだけ重かったか・・・
「躾」=「世間体」=「親が体験してきた生き残る術」
そう思えてきたら、親自身がどんだけ痛みを持ってるかもわかる。
自分が失敗したことや苦労してきたこと、似たようなことで子供が辛い思いをしないため。
愛してるから、心配だからこその重さだったんだね、と。

本当にあの時わかってたら・・・
こんなにすれ違ったり、迷うこともなかったのにな。

子供を持ってわかる親の有り難さ。
大切なものは無くしてからわかる。

でも・・・
いろんなことがわかり始めた今、無くす前に有り難さに気付けたらハッピーですよ。


そこで学んだことの1つが「やりたくないことはやらなくていい」

もちろん、やりたくないからって何でもしなくて済む訳でもなかったケド^^;
  やりたくないけどやらなくちゃって思う時は、なんで「したくない」のか、
  なんで「しなくちゃと思う」のかを考えるのも自分を知るチャンスになる。

やりたくないことを色々理由をつけてやってたから、本当にやりたかったことをできずにいた。
学校の勉強や家の手伝いや人に合わせてたのなんかがその代表かな。

嫌でもやらなきゃいけないことは、大人になるにつれ増えてく。
だから親は子供のためを思っていろんな声色で叱咤激励する。
親が大人になるまでに傷ついた分、痛みがある分、辛いけどやらなくてはいけないと思ってるから、
子供の先回りして心配してくれてるんだよね。
心配だからつい怒っちゃうんだよね。

でもね。
私たちも大人になるまでにいっぱい経験してきたじゃん?
親と違う種類の痛みも経験してきたじゃん?
その経験のおかげで「やりたくないけどしなくちゃいけない」って思うことをしてきて
その分「本当にやりたいこと」を諦めたり後回しにしてきたでしょ?
その繰り返しでいつの間にか「やりたくないこと」をするのが「当たり前」になってるでしょ?
もはや「苦」にもなってないでしょ?

「当たり前」って怖いよ〜!?

これが私たちが幸せになれない【罠】だったなんてね・・・
人に言われなきゃ、自分じゃ「当たり前」と思って気付けなくなるもんだったんだね。
この「当たり前」って感覚のおかげで、どんだけ喜んだり、感謝する機会を逃したことか・・・
そのことに気付けただけ、私は前とは違うハズなんだ。

それをどう生かすかが、今後の課題でもあるんだケドw
# by hanpa2 | 2008-09-25 15:51 | ■某CS系
お気楽に生きる
ずっとずっと世間の目が気になってた。
大学生頃から社会不適合者だと自分を責めだした。

これから社会に出るってことを考えたら、今の自分じゃ不十分だからいっぱい頑張らなきゃって
プレッシャーだった。

たしかに出来ない事は沢山あるしそれで焦ってたけど、自分を不十分だと思って努力することは
確かに大切なことなんだけど、やりすぎて自信を無くして出来る事まで出来なくなっちゃった。

自信を無くすって自分を信じられない状態なんだもん、何もできなくなるのも当前だったw

ずっと頑張って、もっともっと頑張らなきゃと自分に鞭打って、それでヘトヘトになって動けないのに
まだ頑張ろうとしてる人がいたら「もう1人で頑張らなくてもいいんだよ」って言ってあげるのにね。
なんで自分には言ってあげられないんだろう。
ホントにホントに、自分にだけは許しちゃいけないと思ってた。
だから自分に近い人にも言ってあげられなくなってた。

自立を手放すことを教えてもらっても、やっぱり出来ないと思ってた。
自由になったら自分がダメになると本気で思ってるもん。

その根元は怖れと観念なんだろなぁ。
観念が怖れを作るんだろけどさ。
自分じゃ「当たり前」で「普通のこと」だと思ってるから気付けないんだよねぇw
おまけに問題にぶつかって悩んでる時って、深刻だから余裕ないしw
だから人には言えても自分には言えなくなるんだろけど^^;



育った環境でも観念(「当たり前」で「普通のこと」)はそれぞれだろうけど
それって親が縛られてきたことなんだよね。
そのせいで自由がないなんてもったいいんだけど、親もそう育てられたし
ずっと当たり前だと思って生きて来たんだから仕方ないんだよね・・・

だからっていきなり親に「自由じゃないでしょ、もうその考え方はやめようよ」なんて言っても
今までやってきた「当たり前」で「普通のこと」を否定されたらまたもめるしw

それは気付いた人が変えていくしかない。
人は変えられないんだし、そのことに疑問や不満がある人しか気付けないんだから。
それで自分が自由で楽になれたら、人にも世間にも縛られないんだよ?
余裕がない同士がくっついてたら衝突してしまうけど、片方に余裕があれば衝突を避けたり
相手を受け止めることができちゃうんだよ?


自分らしく生きるってなんだろう?って本気でずっとずっと考えて頭から煙が出てたのに
自由になったら絶対悪い事するって思い込みが邪魔してたわw

自由になったら縛られないから余裕ができるだけなんだよ。
ちょっと頑張るって時、余裕がないといっぱい頑張らなきゃいけなくなるけど
余裕があればホントにちょっと頑張るだけでOKなんだもんねぇ。
それで余った時間で好きなことしてたら、また余裕ができちゃうなんて話が上手すぎるw

頑張らないのに上手くいく人なんているわけないし、いたら許せないと思ってた^^;
自分はしちゃいけないし、できないと思ってたから羨ましかったんだもんw

お気楽極楽なんてあり得ないけど憧れる言葉だった。
あり得ないから憧れるんだと思ってたw
だけどこれからは本気で目指す!(≧∀≦)
# by hanpa2 | 2008-09-25 05:46 | ■某CS系
そんなことが不満だったなんてね
部屋を片付けよう、片付けなきゃ、と思いつつどれをどうすればいいのかホントにわからなくて
ゴミ袋を持って部屋を見渡すといらないものばかりなのに、捨てるのに途方も無い気がしてきて
できない・・・と思ってしまう。
できないで終わるから片付かないんだ、と奮起して明らかにゴミとわかるものを捨て始めて気付く。

なんでこんなにゴミが落ちてるのに誰も捨てないんだろう。
なんで所定の場所に戻さないんだろう。
自分が出したものじゃなくても誰か気付いた人がすればいいのに。

その気付いた人が私だから私がやればいいだけなんだけどね。

息子が袋に捨ててこぼれたゴミを拾いつつ
娘が工作した紙の切れ端を拾いつつ
テーブルに出しっ放しの調味料や、使ったままの食器を流しに運びつつ
旦那が飲んだビールの空き缶を集めつつ
自分が散らかしたもの、出しっ放しにしてたものには目をつぶって。

これは息子か娘のどちらかが食べたおかしの袋だ、とか
こんなのがここに落ちてたら気付くはずなのに、とか
これは捨てろって言っておいたのに、出してすぐ戻せば片付けなくて済むのに、って
どんどんどんどん不満が出て来る。

それでも普段は、私が気付いててすぐにしなかったからだ、とか
元々散らかってるから子供も気にならないんだろな、とか
私が子供の悪い見本になってるんだから文句を言える立場じゃないな、とか
仕事で疲れて帰って来るのに散らかった部屋じゃ旦那もくつろげないよね
なのに旦那に片付けろなんて押し付けちゃダメじゃん、って不満に感じたことを罪悪感で抑えてた。

だって私がやる仕事なのに、子供にもちゃんと身に付くまで教えればいいだけなのに。
どう考えても自分が悪いのに、なんで私だけがやらなくちゃいけないの!?って怒ってる。
やらなきゃいけないのに出来ない。
やりたくないなんて思っちゃいけない。
でもみんなが協力してくれたら・・・
この駆け引きを無意識にしてるから疲れるし、疲れるからやる気にならないし
やる気がないけど散らかってるのはイヤだから落ち着かないんだね。
これが悪循環のモトなんだな、ってのはわかった。
それを認めたくなかったのもよーくわかった。

やらなきゃ、やらなきゃって思ってても出来ないのはしたくないからだって理解してきたけど
自分がやりたくないと思ってることはホントに自覚したくなかったみたいで^^;
でも「やらなきゃ<やりたくない」を理解できないってことは、自分の本心(ありのままの自分)を
理解してないってことだし、なんとなく少しずつ「私はしたくないんだな」ってことを
自覚しながら過ごしてたんだけど。

久々に片付けをしながらどんなことが不満なんだろう?って感じてたら
結局は「なんで人が出したものを私が片付けなくちゃいけないの」ってことだった。
だからと言って、私が何もしてない時に人が片付けてたら申し訳なくて苦しいし
だったら上手にコミュニケーションして、各自が責任を持ってくれるように言うとか
一緒にやる・手伝ってもらうっていろいろ方法があるじゃん♪と思った瞬間、そのもう1つ下の層の
私がしたかったことに気付いた。


昔、お手伝いはお母さんを楽にしてあげるものでやるのが当たり前なんだけど、お母さんと
一緒にいるチャンスでもあったんだよね。
「お手伝いはするものだ」って親も先生も言ってし、自分もしなくちゃいけないとは思ってたから
手伝いたくなくてグズグズしてる時は、私はなんて怠け者なんだろうとか、いつもお母さん1人に
押し付けてるって罪悪感と、怠けてたらいつ怒られるかでビクビクしてた。
張り切ってお手伝いする時でも、お母さんが私に仕事を任せて別のことをしてると
一緒に家事を分担してる気分の時はいいけど、そうじゃない時はやさられてる感が強くなる。
そうなると「なんで私だけ」「妹はずるい」「せっかく手伝うのに」と不満が溜まってたんだね。

分担して早く家事を終わらせても、そのあとご褒美(お母さんとゆっくりする時間)がないんだもん。
一緒に何かしながらおしゃべりがしたかったんだろうね。
私のお手伝いの目的は、お母さんを喜ばせる&褒められて私も気分がいい、だったのかな?
だけどお母さんはやることがいっぱいで余裕がないし、私も余裕がなくて不満だらけだったんじゃない?
お手伝いして「ありがとう、助かった♪」って言われたら嬉しいけど、終わったらホッとしてたかも。

そういえば私って、旦那や子供に手伝ってもらってもちゃんと「ありがとう」を言えてない。
してもらって当たり前か、させて申し訳ないのどちらかの感覚しかない気がする。

片付けから始まった「やらなきゃいけないのに出来ない」の感覚のルーツの正体。
見えてきたけど、感じた瞬間に弾かれるように身構えてしまったし
きっと感じて感じて感じきったら「そうだよね〜」で終われそうなのにね。
# by hanpa2 | 2008-09-21 19:26 | ■某CS系